キレイな日本人 季節のお便り

  常養学専科講師   池田  泰子

日本に暮らす全ての日本が好きな方たちへ。

日本の風土に培われた知恵を、暮らしの中に取り入れてきた日本人。

その知恵がしなやかな日本の風習となり、力となり時代とともに文化として人に寄り添ってきました。

毎回、WEB上で大変な人気を呼んでいる、池田泰子リーダーの季節のお便り。

日本人として、変えてしまってはいけないものがきっとここにはあるはずです。

 

 

 

 


季節のお便り94

 

Magnolia and Kobushi magnolia

  白木蓮(しろもくれん)と辛夷(こぶし) 〜

 

見分け方ご存知ですか?
上が白木蓮、下がコブシです。

どちらもモクレン科ハクモクレン亜属なので似ています。
原産地は、
・木蓮は中国
・コブシは日本原産
開花時期はどちらも3月初めから4月初めまでですが、辛夷が少し遅めです。

花の向きは、
・木蓮は上を向いて、
・コブシは花があちらこちらに向いています。

花の開き具合は、
・木蓮は花が閉じていて全開しません。
・コブシは、開きます。

花の大きさ
・木蓮は8~10cm。花びらの幅が広く、厚みがあります。
・コブシの方が小さく、大きさは4~5cm。花びらの幅が狭く薄い。

葉は、
・木蓮は、花の時期に葉がありません。
・コブシは花の付け根に葉が一枚ついています。
すべての花に葉が付いているとは限りません。

花弁の数
・木蓮は、9枚で丸みを帯びています。
・コブシが6枚でやや華奢で、大きさもコブシの方が小ぶりです。



季節のお便り93

 

さくら さくら 〜

 

日本人なら誰もが知っている「桜さくら弥生の空は~」で始まる歌のお話です。

JRの発車メドレーとして、山手線 駒込駅と中央線 武蔵小金井駅で使われてもいるようですね。

この歌は、日本古謡と表記される場合が多いのですが、この歌の歌詞の下地となったのは、江戸時代の国学者で「古事記伝」の著述に35年余り専心した本居宣長(もとおりのりなが)の和歌といわれています。
 「敷島の 大和心をひと問はば 朝日に匂う 山桜花」
「朝日」は日本を指し、「におう」は「美しい」「映える」の意で、桜の花
 は軍人が美しく散っていく様を表したといわれます。
満開に咲いた後は、見事なまでに散りゆく桜。
その潔さは、大和魂そのものとされたのでしょう。

歌詞の変化を時代を追って、ご覧ください。

     『さいた櫻』
(原曲とされる江戸時代の歌詞・作者不明)
子どものためのお箏(こと)の練習曲として書かれたものです。
  咲いた さくら
  花見て戻る 吉野はさくら
  竜田はもみじ 唐崎の松
  ときわときわ 深緑

       『櫻』
   (明治21年の歌詞)
東京音楽学校の「箏曲集」に掲載されました。
  さくら さくら
  野山も里も 見渡すかぎり
  霞か雲か 朝日ににおう
  さくら さくら 花ざかり

       『さくら』
   (昭和16年の歌詞)
太平洋戦争開戦となったこの年、国民学校音楽教科書の「うたのほん」で、改訂されました。
  さくら さくら
  弥生の空は 見渡すかぎり
  霞か雲か 匂いぞ出ずる
  いざや いざや 見にゆかん

現在は昭和の歌詞を1番にして、明治の歌詞を2番にとしていることが多いようです。
山田耕筰の二度の編曲を経て、日本を代表する歌として世界に広まりました。

琴や篠笛の調べにのせて、桜が魅せる多彩な風情が浮かんでくる曲ですね。

Japanese Folk Song #9: Cherry Blossoms (さくらさくら/Sakura Sakura)



季節のお便り92

 

袴姿で卒業式 〜

 

3月は卒業式の季節。
華やかで凛々しい袴姿の女の子たちを街角で毎日のように姿見かけます。
大正時代が舞台の漫画「ハイカラさんがとおる」の主人公 花村紅緒が袴をはいて自転車に乗り竹刀を振りまわすじゃじゃ馬娘ぶりと重なります。
今回は袴の歴史をお話いたしましょう。

袴のはじまりは以外にもとても古く、男性用の服装として古墳時代にさかのぼります。
奈良、平安時代には男性だけでなく宮廷に仕えていた女性たちが十二単の一部として身につけていたそうです。
江戸時代になっても階級によって定められた決まり事が多く、宮中の女官以外の女性は身につけることが許されませんでした。
今のように、女子学生が袴をはくようになったのは明治のはじめ頃で、女性の袴の普及に貢献したのが、下田歌子氏です。
「日本が一流の大国と成らん為には大衆女子教育こそが必要。」といって女性教育に一生を捧げた教育者です。
彼女は明治18年創立の華族女学校(学習院女子中高等科の前身)の教授であり、着物の不便さが女性の社会進出を妨げてはいけないと、宮内省で皇后に仕えていた経験を生かし、これまでの男性用袴とは違うプリーツスカート状に仕立てた動きやすい袴を考案しました。
色は当時未婚の女性の色とされていた濃色(こきいろ)をもとに、紫がかった赤色「海老茶色」として、全国へと広がっていきました。
その後、1899年(明治32年)には当時の女子の最高学府であった女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)が袴を制服に採用し、女学生の袴姿は定着しました。
昭和に入ってからは洋服が普及したため、現代では卒業式に女子卒業生と女性教員が礼服として着用するようになりました。

📷は娘の卒業式の袴姿です。



季節のお便り91

 

十六団子

 

十六団子(じゅうろうだんご)をご存知でしょうか?
古より日本では「神去来(かみきょらい)」という伝承があり、山と田んぼを往き来する「農事の神」を大切におもてなししてきました。
春、種蒔きの始まる時期に山を下りて種をお届けくださる神をお迎えする3月16日と、秋、山に上がる神に収穫を感謝してお見送りする11月16日(地域によっては10月16日)に16個のお餅やお団子を作ってお供えするようになったそうです。

16個の数の始まりは、848年、疫病が大流行した時に仁明天皇が元号を嘉祥(かしょう)に改め、6月16日に16種類のお菓子やお餅を賀茂神社に供えて疫病除けをされた「嘉祥の儀」といわれています。
その後、室町時代になると節分の恵方巻きに似た「嘉定喰い(かんじょうぐい)」といわれる16個のお餅を無言で食べて無病息災を祈願するようになり、秀吉や家康もこの日にはたくさんのお菓子を重臣達に配っていたとか。
それが民間にも普及して、嘉祥通宝16枚(16文)で16個のお菓子を買って食べる風習へと変化したそうです。


季節のお便り90

 

〜 お雛祭り 〜

 

私たちは雛祭りというと、女の子の成長をお祝いするお祭りと思いますが、
由来を紐解くと、そのルーツは意外にも、女の子だけの行事ではありませんでした。
今回はそんなお話をいたしましょう。

お雛祭りは元々は中国から伝わったといわれます。
中国の漢の時代、3人の子どもを出生から数日で亡くした徐肇(じょちょう)という男性が川に入り禊(みそぎ)をし、子どもの亡骸を清めて水葬した逸話が始まりのようなのです。
その後、『上巳(じょうし)の節の祓』という3月の初めの巳の日に川の水で邪気を払う風習に変化していったのだそうです。
この行事が遣唐使によって日本に伝わり、もともと日本にあった自分の身代りとして紙でこしらえた形代(かたしろ)に息を吹きかけ体をなでて、自分の穢れ(けがれ)を移し川に流すという儀式と結びついたものが、ひな祭りの起源の『流し雛』だといわれています。

平安時代の宮中では、草木や紙などで作った幼女の遊び相手の小さな人形を「ひいな」と呼び、長い年月の間に形代と融け合って、雛人形が生れ、やがて家の中に飾り祀るようになりました。
江戸時代に入り、三月三日を上巳の節句と定めてからは、五月五日の端午の節句が男の子の節句であるのに対して、三月三日の桃の節句を女の子の節句として庶民の間でも親しまれるようになりました。

贅沢を禁ずる江戸幕府が三代将軍家光の時代に出した「慶安のお触書(けいあんのおふれがき)」は、雛道具の蒔絵(まきえ)や金銀の箔押し(はくおし)をしてはいけないという内容でした。
その後も、雛人形・道具ともにその家の財力を表すものとして、華やかになり大型化されていき、ついには等身大の雛人形まで作られるようになったそうで、八代将軍吉宗の時代には、雛人形の高さを24cmまでと決められたほどたそうです。

♪あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
今年も雛祭りの季節がやってきましたね。

📷は、祖母が学生時代に離れて暮らす私に贈ってくれた大切な宝物です。


季節のお便り89

 

1月21日はスイトピーの日 〜

 

大分県はスイートピーの栽培面積も生産量も全国2位で、有名産地の佐伯市のOさんから教えていただきました。
それにしましてもどうして1月21日なの?それは花弁の並び方かららしいのです。(右上の画像をご覧ください)
また、松田聖子さんの『赤いスイートピー』がリリースされた日でもあるそうです。

英名SWEET PEA の由来は、甘い香りのえんどう豆という意味から。
春を感じるお花に近づいて一息すると、甘くバラやジャスミンを思わせたり、ぶどうや柑橘系のようにフルーティだったり、爽やかなグリーン系の香りだったりします。
エリザベス、ダイアナ、シンデレラ、リンダ、アニー、モンロー、プリンセス、ふじむすめ など、女性の名前のついた品種もたくさんあります。
色もパステルカラーだけでなく、ブラウン、ゴールド、抹茶など個性的な品種も。

📷は、我が家のランチョンマットの柄で、スイートピーの妖精たちです。イギリスの挿絵作家で児童文学者のCicely Mary Barkerのフラワーフェアリーシリーズ をご存知の方もいらっしゃると思います。
📷お花の中で一番好きな白萩に似た白いスイートピーが、何年か前にお庭に咲きました。



季節のお便り88

 

〜 節分 〜

 

今日は、節分。

二十四節気の最後で大晦日に当たる節目の日です。
豆まきをして一年の邪気を祓いましょう。
語呂合わせで、「魔(鬼)目に豆を当てて魔滅する」と言われます。
拾い損ねたお豆から芽が出て災いが起きないように煎ってからまきましょう。
旧暦では一年は立春から始まると考えられていましたから、数え年としてや新しい歳の厄除けとして、歳の数よりお豆は一つ多く食べるようになったそうです。
極寒の季節に弱りやすい腎の働きを高めてくれる福豆をいただいて、健康な一年を過ごしたい。という願いが込められているのですね。腎の食養になるのは、形が類似したお豆類です。金時豆(キドニービーンズ)のキドニーは腎臓のことです。
節分は、中国から藤原京の時代に「追儺ついな」「鬼儺おにやらい」という厄払いの儀式として伝わり、陰陽五行に基づいて宮中の年中行事として行なわれるようになりました。
陰陽五行では鬼の出入りする方角は北東、つまり鬼門とされています。子(ね)を北として十二支を時計回りに配置していたので、鬼門=北東は丑寅(うしとら)の方角となります。つまり、鬼は頭に牛の角、虎縞パンツ姿というわけなのです。
風水学の方位でも、鬼門にあたるので、鬼は不幸や天災の象徴です。鬼門を封じて、災い転じて福となしましょう。

そんな伝統に思いを馳せつつ、今年の節分も「鬼」を退治して、立春2月4日=新しい春を迎えましょうね。

福は内!鬼は外!



季節のお便り87

 

〜 寒中お見舞い 〜

 

みなさんは『寒中お見舞い』をお出しになりますか?
「寒中見舞い」とは、季節のご挨拶の他に、喪中のため年賀状が出せなかったり、お相手が喪中の場合の年賀状の代わりとしてや、年賀状の返礼が松の内(1月7日)までにできなかった場合に使われます。
他に、喪中と知らずに年賀状を出してしまった時のお詫びとお悔やみとしてや、こちらの喪中を知らずに年賀状をもらった場合はお相手に喪中のお知らせとお詫びを兼ねても使えます。

「寒中」とは二十四節気の「小寒」と「大寒」の間のことで、この間に出すご挨拶状が『寒中見舞い』と言われています。
出し終わりは節分の2月3日(立春の前日)までと言われていますが、始めに関しては3つの考え方があるようです。
・「小寒」の1月5日から。
・門松などを片付ける「松の内」1月7日を過ぎてから。
・関西の「松の内」1月15日を過ぎてから。
寒中を過ぎた時は「余寒」を使いましょう。

喪中の場合にはこちらに気をつけましょう。
・年賀葉書はしようしない。
・お正月に関係する写真やイラストは使わず、落ちついたデザインにする。
・「お年賀状」ではなく「お年始状」とする。
・「拝啓」「敬具」などの頭語や結語は使わない。
・喪中葉書を出していない場合は、お詫びを一文添える。



季節のお便り 86

 

〜 冬日と真冬日 ご存知ですか? 〜

 

『冬日』と『真冬日』について。

今日は全国的に寒い一日でしたね。
九州でも午前中、雪❄️が舞いました。

『冬日』は、最低気温によって、
『真冬日』は、最高気温によって決められています。



季節のお便り85

 

〜 モミジとカエデって違うの?〜

 


区別されているのは日本だけ。
英語では、モミジもカエデもメープルです。

どちらも、カエデ科カエデ属で、紅葉するのがモミジと呼ばれています。

モミジ
葉の切れ込みが多く深いもの
語源は、紅花から染料を「揉(も)み」出した色の様のようだから。
カエデ
切れ込みが少なく浅いもの
語源は「蛙の手→かえるで」らしいです。

は娘の手づくりの米粉のモンブランです。



季節のお便り84

 

〜 山 装う 〜

 

今年も日本の秋を彩る紅葉の季節となりました。
まるで山々や木々が、おしゃれな色とりどりのコートを羽織ったかお化粧でもしたかのよう。

お買い物の帰り道、鮮やかな色に誘われて、落ち葉拾いをしてしまいました。
春にはお花見、秋になると紅葉狩りに行く方も多いのではないでしょうか?

私たちは紅葉を見ることで、前頭葉が活性化され「セロトニン」が分泌されストレスが緩和させているそうです。
他にも体調を整えたり睡眠を改善したり、アンチエイジング、学習力アップするなどうれしい効果が明らかになっているようです。

紅葉の赤い色はポリフェノール類のアントシアニン。
ポリフェノールには、強い抗酸化作用があり活性酸素を抑制したり免疫力を上げたりする効果が知られています。

大阪の箕面山は紅葉の名所で、紅葉した『もみじの天ぷら』が名物です。
約1300年前、この山は修験道場で、修行していた行者が滝に映えるもみじの美しさを称え、灯明の油で天ぷらを作って旅人に振舞ったのが「もみじの天ぷら」のはじまりと云われ、お土産品としては明治の初めに箕面大滝付近で売られたそうです。
もみじの天麩羅は、天麩羅というよりもかりんとう。
作り方は結構手間がかかるようで、一行寺と呼ばれるもみじ葉を1年塩漬けにしてアクを抜いて、塩抜きしてから、白胡麻入りの甘い小麦粉の衣をつけて揚げています。
もみじ葉の味はわかりませんが、ほんのり甘くカリカリした食感が後を引く、形の可愛らしさを楽しむスナック菓子という感じです。

もみじの天麩羅のはwebからお借りしました。

 



季節のお便り 83

 

〜 金木犀のロマンティックなお話 〜

 

秋になると、どこからともなく漂ってくる金木犀の甘い香り。
ノスタルジックな思い出を呼び起こされませんか?
私たちを惹きつけるなんとも魅力的なお花の命は儚く、一週間ほど。
今年は急な冬のような寒さと長雨で、早くも散ってしまいそう。

今回は、祖母から聞いた中国に伝わる金木犀のロマンティックなお話をいたしましょう。
月には金木犀の樹があり、お花が咲き始めると月が満ち始め、満月の夜には満開になるそうなのです。
月いっぱいに咲きほこる金木犀、な〜んてロマンチックなのでしょう。

また、月には金木犀のお花のように美しく香り立つ女神、嫦娥(じょうが)と、男神、呉剛(ごこう)がいると信じられておりました。
嫦娥が月のお城から下界を見下ろしていると、湖のほとりで人々が楽しそうにお月見の宴を開いておりました。
その日はちょうど中秋の名月だったのです。
すると、湖面に黄金色の波が立ち、そのあまりの美しさに嫦娥は思わず踊りだしました。
それをみた呉剛も、花盛りの金木犀の幹をたたいてリズムをとりました。
樹からぱらぱらと降ってきた黄金色の小花を、嫦娥は両手ですくい、下界へパラパラと落としたそうです。

月から地上に落ちてきたお花から、金木犀が咲くようになった。というお話でした。



季節のお便り82

 

〜 お月見のお供 〜

 

これらは全部、お月見団子です!
みなさんの地方はどんなお団子をお供えしますか?
九州生まれの私は、絵本などでよく見かける白いまん丸型です。
横浜で生まれ育った祖母もこの形でした。

同じ九州でも変わった形は、沖縄の『ふきゃぎ』です。
お団子ではなく、お餅に魔除け効果のある黒小豆を塩味で炊いて潰さずにからめるそうです。
小豆をつぶすと魔除けの効果が弱くなるそうです。

関西では、楕円形のお団子にあんこを帯 状にかけて、里芋のきぬかつぎや月にかかった雲に見立てています。

中国、四国地方は、『串団子』

静岡は、『へそもち』
徳川家康が今川氏の人質として駿府城にいた竹千代(5〜8歳)時代に、三河からの付き人が元気に丈夫に育つようにとの思いから、餅に「へそ」を作り、そこにあんを添えたと伝えられているそうです。

名古屋は、外郎(ういろう)生地のしずく型。

青森県・岩手県は、お団子ではなくお饅頭。

いろいろ食べ比べてお月見をしてみたいですね。



季節のお便り 81

 

〜 彼岸花 〜

 

風を浴びきりきり舞いの曼珠沙華 抱きたさはときに逢いたさを越ゆ 吉川宏志

燃えるように赤い彼岸花の開花は、ほんの一週間ほど。
時として妖しくも不気味にさえ感じてしまうのは私だけでしょうか?

このお花は、「彼岸花」の他にたくさんの呼び名があり驚かされます。

よく知られている「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」は、サンスクリット語(梵語)で”天上の花”という意味。
”天上の花”とは、おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくるという仏教の経典から来ています。

英語ではスパイダー リリー (Spider lilies蜘蛛ゆり)
クラスター アマリリス (Cluster amaryllis 集団のアマリリス)
ハリケーン リリー (Hurricane lily台風のゆり)

学名の「リコリス(Lycoris)」は、ギリシャ神話の女神名前からとられたものです。

お花の形から「狐のかんざし、狐の松明、火炎花」とも呼ばれています。

根にアルカロイド系の毒があることから、「毒花、痺花、苦花、地獄花」と呼ばれ、土葬の時代にはモグラや野ネズミを近づけないように、墓地などによく植えられていました。
それで、「死人花、地獄花、幽霊花」と怖い呼び名もついています。

根の部分のデンプンが、飢饉の備えとして栽培されてもいました。
根に含まれる毒は水にさらすことで取れるそうですが、むやみに食したりしないようにしましょう。

また、韓国では、「相思華」と呼ばれています。
普通の植物は花と葉が一緒ですが、このお花は全く正反対のパターンを持っていることから「葉は花を思い、花は葉を思う」という意味が語源らしいのです。
お彼岸が明ける頃から花は枯れ、葉を茂らせて冬を越します。
春は光合成をして球根に栄養をため込みます。
夏には葉を枯らし、また、お彼岸の頃に花を咲かせます。

花言葉は、「情熱・再会・あきらめ・悲しき思い出・想うはあなた一人」

撮影は、キレイな日本人 池田晃一氏です。



季節のお便り 80

 

〜処暑と残暑お見舞い〜

 

8月22日は、1年を24つの季節に分けた二十四節気のひとつ『処暑しょしょ』でした。
”暑さが止む” という意味があるそうで、お盆も過ぎてやっと朝晩は少し涼しくなったかと感じます。
そろそろ暑さのピークを過ぎたようですね。

お盆も過ぎたこの季節、暑中見舞いをいただいたのに、お返事が未だの方や残暑お見舞いはいつまで?と気になっている方もいらっしゃるのではないでしょうか?

残暑お見舞い状は、未だ間に合います!

二十四節気の季節は次の順に巡ります。
小暑(7月7日頃)→ 大暑(7月22日頃)→ 立秋(8月7日頃)→ 処暑(8月23日頃)→ 白露(9月日)

残暑お見舞いは処暑まで。という考えもありますが、次の二十四節気の季節の 『白露はくろ』の前日までが処暑の期間ですので、8月中にお出しすればよいとされています。

夏のご挨拶。
暑中見舞いと残暑見舞いは、立秋を境に切りかえると覚えておきましょう。
暑中見舞いは、大暑からまたは梅雨明けから立秋までに届くようにお出しするのが通例でしたが、最近では、小暑からでも良いとされるようになりました。

私も昨日急いで、残暑お見舞いをいただいてお返しをしていなかった方に、秋を感じる虫かごの葉書をお出ししました。

📷残暑お見舞いによく使う私の好きな虫かごの柄です。
Webからお借りしました。



季節のお便り78

 

〜 寒天 ・ 心太(ところてん) 〜

 

夏本番。
冷たいものがほしくなる季節ですね。
かといって、冷たいものばかり食べていると、胃腸が疲れて食欲減退、夏バテを引き起こす原因にも。
今回は、ふるふるっ、つるんとした「体を冷やしすぎない寒天と心太」のお話です。

『寒天』も『心太』も海藻から作られているので、食物繊維や不足しがちなカルシウムなどのミネラルもバランス良く摂ることができます。
おいしく食べて、生活習慣病予防にも一役買ってくれるヘルシーな食品です。
また、”デトックスの王様”とも呼ばれ、体内に溜まった有害物質や毒素を吸着して排出してくれる ”腸のお掃除役” でもあります。
カロリーはほぼゼロとうれしいことづくしですね。

『心太』が日本に伝わったのは、精進料理のこんにゃくなどと同じで大変古く、奈良・平安時代には上流階級のぜいたくな食べものとして、からし酢をかけて食べていたそうです。
江戸時代になって、京都伏見の美濃屋太郎左衛門が、偶然凍結した『心太』から『寒天』を発見。
いわば、『寒天』は『心太』のフリーズドライです。
現代の『寒天』は、天草(てんぐさ)やエゴノリなどの海藻を煮た後に凍らせて不純物を取り除き乾燥させています。

『心太』の呼び名は、どろどろに溶けて煮こごり状の様子をこごる藻葉(コゴルモハ)、その後「ココロテイ」「ココロテン」と呼び名を変え、江戸時代には今の呼び名であるこの漢字が当てられたそうです。
『寒天』の名付け親は日本にいんげん豆などを伝えた明僧、隠元禅僧といわれています。

『寒天』とゼラチンは、よく似ていますが、実はまったく違うものです。
『寒天』は100%植物由来ですが、ゼラチンは牛骨や豚皮などの蛋白質から作られています。
大量にゼラチンを抽出するには、どうしても化学的な薬剤を使った抽出をしなければならず、体への安全性は不透明なままです。

心太は酢醤油派?黒蜜派?
関西では黒蜜をかけて食べることがあります。
奈良~平安時代、貴族の間では中国から輸入された貴重な砂糖が流行して、心太を黒蜜で食したようです。
また、当時は砂糖も薬の一つとされ関西には薬種問屋が集中していたため、一般にも浸透していったと考えられています。
まだ、2カ月あまり続く暑さをお健やかにお過ごしくださいね。



季節のお便り 77

 

〜 夏越の大祓え(なごしのおおはらえ) ・ 茅の輪くぐり (ちのわくぐり) 〜

 

2年前、茅の輪の吹き替えという滅多に出来ない素晴らしい経験をさせていただきました。

明日から7月。
旧暦の6月と12月の晦日みそか(月の最後の日)にケガレを落として、健康と厄除けを祈願するのが「夏越の大祓」と「年越しの祓」です。
厄落としの方法として「茅の輪くぐり」が行われます。
茅の輪とはチガヤという草で編んだ輪のことで、神社の境内に作られた大きな茅の輪の中を「千歳(ちとせ)の命延(の)ぶというなり」と唱えながら8の字を書くように三度くぐり抜けます。

茅の輪の他に、紙や藁(わら)でできた人の形をした人形(ひとがた)、人形代(かたしろ)に自分の罪やけがれ、災いなどを移し、祓い清めて川や海に流したり、お焚きあげをしたりする神事もあります。
ご朱印を集めている方にとっては、期間限定のご朱印を授与される神社もあり、楽しみですね。

これらの由来は、神話の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらひ)にまで遡るとされ、このことと祓えに食べる伝統和菓子の水無月(みなつき)については、改めてお話させていただきましょう。

伝統を受け継いでいくことが、材料不足、道具不足、後継者不足などから困難な時代になってきています。
私たちの世代、私たちの子どもたちの世代、そのまた子どもたちにも伝え続けたいと願うご高齢のボランティアのみなさまに支えられているのが現象です。

私も季節のお便りの発信や季節の設えやお料理を通じて、できることから。
これからもお伝えし続けてまいります。



季節のお便り 76

 

菖蒲しょうぶ 〜

 

今が満開の菖蒲園へ行ってきました。
季節のお便り74でもご紹介しましたが、古くから冬至に柚子湯、夏至には菖蒲湯の習慣がありました。
旧暦は、現代のカレンダーと1カ月ほどずれるので、端午のお節句は夏至の前後になることから、もともと夏至の習慣だった菖蒲湯が端午の節句の習慣に変わったということです。
入浴用の菖蒲はサトイモ科の多年草で、この📷のアヤメ科の花菖蒲とは違います。
花菖蒲は、江戸時代にノバナショウブを品種改良してできた、華やかな花を咲かせるアヤメ科の植物なのです。

菖蒲湯の前夜は、枕の下に菖蒲を敷いたり、菖蒲で作った枕で眠り、翌日菖蒲湯を立てて入ったそうです。
菖蒲には邪気を祓い心身を清めるたり整える成分が含まれています。
フィトセラピー(植物療法)の先駆けですね。

花言葉は、” しあわせは必ずくる” と祖母に教えてもらったことを思い出しました。

よろしければ、
季節のお便り 71 と74
こちらもご覧くださいね。

端午のお節句 : 菖蒲
https://www.facebook.com/yasuko.ren/posts/1304214916331923

夏至①https://www.facebook.com/yasuko.ren/posts/1351337934952954



季節のお便り 75

 

  夏至 ②キャンドルナイト 〜

 

The summer solstice
今夜は、大切な人とキャンドルのやさしい灯りの元、ゆったり過ごす時間を楽しみます。
最近は、火を見るということが少なくなってしまいましたので、火を身近に感じたいのです。
当たり前のように朝が来て、夜が来て。
夏が訪れて、そして冬が訪れる。
本当に、ありがたいことですね。
あまねく照らしてくれる太陽の恵みに感謝して。
パラフィンの求め易いキャンドルもよいのですが、蜜蝋でできたろうそくの揺らめきが我が家のお気に入りです。

📷お料理教室に通ってくださっているYちゃんからのプレゼントです。

昨年の夏至の投稿より。



季節のお便り 74

 

  夏至① 〜

 

The summer solstice
今日は、二十四節気のひとつ夏至です。
太陽が赤道から最も北に離れ、一年で一番昼間が長く、夜が短い日。
冬至と比べるとお昼間の時間がなんと4〜5時間も長いそうです。

今日から本格的な夏がスタートします。
” 至 ” には、行き着いたところ。の意味があり、「はじまり」を意味する節目の日でもあります。

夏とは言いましても、地球は水で覆われた星。
温まりにくく、冷めにくいため、暑さのピークは1カ月後くらいからになります。

冬至には柚子湯と南瓜を食べる習慣がありますが、
夏至には、盛りの菖蒲の湯と
関東では、収穫の時期を迎える小麦で作ったお餅を。
関西では、タコの足の様に深く稲が根付いて欲しいと願って蛸を。
愛知では、特産物の無花果をあぶって田楽味噌で。
福井では、重労働の田植え時期に蛋白源として鯖の塩焼きを食べる習慣があるそうです。

みなさんは、夏至の一日。
いかがお過ごしでしょうか?



季節のお便り 73

 

  端午のお節句 柏餅 〜

 

柏餅は、江戸時代に武家を中心に、男子の健やかな成長を祈る端午の節句に作られるようになりました。
柏は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから、子孫繁栄につながるといわれたからです。

『南総里見八犬伝』の作者として知られる滝沢馬琴の日記には、端午の節句に家族総出で柏餅を200個も300個も作ったということが記されています。

柏餅に入っている餡(あん)といえば、小豆餡と味噌餡が知られています。
江戸時代後期に庶民の風俗をまとめた『守貞謾稿(もりさだまんこう)』によると、江戸では中身を区別するため、小豆餡は葉の表、味噌餡は裏で包むとあります。

柏餅には柏の葉を使わないものがあるのをご存知でしょうか?
大きな柏の葉が収穫できない西日本では山帰来(さんきらい)の葉で作られたので「さんきらい餅」などと呼ばれていました。
また、中部地方の一部では朴(ほお)の葉を使ったので「朴葉巻」や「朴葉餅」と呼ばれました。

年中行事に関わるお菓子の多くに、米や小豆が使われています。
米は、稲作の象徴として神聖視され、餅にして食べると霊力を体に取り込めると考えられてきました。
小豆は滋養食として食べると、体力をつけ、邪気を払い災いを避けることができると信じられてきました。
小豆の色は太陽の色や人の体をめぐる血潮の象徴といわれてきました。

端午につきものの柏餅ですが主に関東で親しまれて、関西では粽(ちまき)が主に食されてきました。

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季節のお便り 72

 

  端午のお節句 粽(ちまき) 〜

 

端午といえば、粽と柏餅ですが、みなさんはどちらに親しみをかんじられますか?
粽は主に関西、柏餅は関東で食されるようです。

粽の歴史は古く、中国の文献『続斉諧記(ぞくせいかいき)』によると、紀元前3世紀頃にさかのぼります。
楚(そ)という国に、屈原(くつげん)という博識で政治にも手腕を振う王族がいました。
王に認められましたが、他の官僚の妬みにあい、失脚してしまいます。
彼は国の将来を憂いつつ、淵に身を投げ命を絶ちます。
その死を悼んだ里人たちが、供養として命日の5月5日に、竹筒に入れた米を淵に投げ込むと、屈原の霊が現れて、「淵には龍が住んでおり供物を食べてしまうので、厄除けにセンダンの葉で包み五色の糸で巻いてほしい。」と話します。
人々は教え通りに供物をするようになり、これが粽のはじまりになったといわれています。

日本では、平安時代に宮中で端午の節句の厄除けとして供えられました。
現在、関西で親しまれているのは宮中行事で古くから用いられてきたからといえるのでしょう。

私たちは、粽といえば、外郎(ういろう)や葛などの生地を笹の葉で巻いた甘いものを思い浮かべますが、かつては笹ではなく、茅(ちがや)や菰(まこも)といったイネ科の植物がよく使われていました。
粽という呼び名も、” 茅で包むから ”
” 千回巻いたことにちなむから ”ともいわれています。

『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』平安時代に作られた漢和辞書によると、米を菰の葉で包み灰汁で煮て、甘みはつけられていませんでした。
現在の姿になったのは、庶民に広まった江戸時代以降のようです。

病や厄をよけるために作られた食べられないお供えの粽は、『伊勢物語』に「かざり粽」の名で登場します。
京都で7月に行なわれる祇園祭や滋賀の大津で10月に行なわれる大津祭で撒かれるなど、粽は厄除けのお守りとされています。