伝統美養塾 食卓への思い

 食卓和文化 その本質を継ぐ

 

伝統美養塾 塾長 毛利涼子


 

 天使のような顔をして、悪魔の手先だった。

実は悪魔そのものだったという事例に、最も多く出会った2020年。

 

あのドクター内海(聡)よりメルマガを昨年末に依頼され、1月に掲載された内容を一部加筆してメッセージとさせていただきたく思います。

 

 いよいよ、ど真ん中の食育を掲げた活動へと進み、服部幸應先生との連携も叶った昨年から今年。すべきことは明らかに見えてまいりました。それは、伝統美養塾や食卓和文化継承士の皆さんの存在意義と、世の中を永続的に良い方向へもたらす行動を広げるというスタート当初からの方針を貫くことです。

これを踏まえ、1年間、毎月のご受講でご協力をいただけましたこと、本当に嬉しく思います。

厚くお礼申し上げます。

引き続き、ご家庭での永続のための継続活動、「我が家の伝統食」や「丁寧な手仕事」の知恵の数々をお子様から先へと確立していただきたく思います。

総集編は、この活動の始まりと経過についてをご報告し、次なるお互いのステージへの力へとつなげてまいりたいと思います。

 

 

内なる言葉を発する時

 

 虚無を語る内海先生が、そうは言いつつも世の中に本質をお伝えなさるお姿に私よりずっとお若いのに尊敬できる方だと、出会った頃より感じており、これまでの7年間、企画をともにさせていただきました。

 しかし、数千年をかけての世界的計画はここまでくるとどうにもならないのだということもどうやら然り。内海先生の嘆きの記事にも納得がいく昨今です。この寄稿を依頼していただいた理由は、おそらく「思い」だけで集った女性リーダー達が、簡単味噌作り10,000人超えを7年かけて地味にやってのけたことについてご報告にほかなりません。6万人の皆様が読者登録しているという内海先生のメルマガに寄稿させていただけるチャンスにお伝えすべきことを私なりに書かせていただければと思い、これまでを振り返りました。

 

 政府の方針についてどうお感じになられるかなどは愚問でしかないとは思いますが、果たしてこれまでのシナリオは理解不能です。私も、この世の中にこのような憤りを感じたことはこれまでに経験したことがありません。

我が子をはじめとした、大切な人の命すら守れない現実に、このままだと信じたくない気持ちのまま流されていくわけです。都合よく塗り替えられた歴史を押し付けられ大人の責任など果たす間も無く、このままで良いわけはありません。

 

 今すべきことは何か。考えたら、行動を起こす。それしかないのです。

 

 

味噌づくり集団を率いている私は一体何者か

 

 20代前半、意気揚々とマスメディアの世界に飛び込むや否や、二つの事件と共に何やら怪しい社会の構図に出会います。その後の35年間の人材育成経験からたどり着いた場所が、この食育のステージになります。

数値化を促すゲームのような生き方の毎日ではなく、生産性よりも人望や直感、感性から生まれる意識を育むことのできる環境づくりがしたい、という心の叫びからこうなりました。

 

 そのきっかけは、20歳の頃、正義の本質を教育に活かしたいと思い立ち上げた「創遊舎」という学習塾でした。時はバブル直前の、何をやってもうまくいくという時代。しかし、経済の潤いのために、女性が外で働き出し、女性の夜の外出も増え、家族の食卓の様子に変化が出てきた時代でもありました。

 

 食卓を囲む日本の家族を想像してみてください。皆さんにはどんな光景が浮かぶでしょう。

私の場合はご飯の炊ける音と匂いから始まり、まな板と包丁の当たる音、お茶碗を並べる音や帰ってくる父親を待つ弟の顔が浮かんできます。全員揃って正座での「いただきます」から始まり、たくさんのお料理を仲良く家族でとりわけ、食事中はその日の出来事を話しながらも、食事中の行儀や言葉遣いなども躾けられます。

 

片付けも家族で手伝い、テーブルをきれいに拭いた後は家族でお茶を飲みながら同じテレビを見たりもします。「8時だよ、全員集合!」という番組を見て、本当に家族全員で見て笑っていました。いわゆる、これが「サザエさんの食卓」、昭和中頃までの情景です。

 

 ところが昭和も終わり、平成を迎えるとどうでしょう。家の間取り、スタイルは洋風化し、

テーブルと椅子、トイレも洋式、布団はベッドへ。各個室にテレビ、食事は別々とずいぶん様がわりしてきました。個が尊重されすぎると、共に暮らす人への気配りさえもなくなり、後始末という礼儀も疎かになりがちになってきました。

 

 

スローガンは「心を形に、知恵を力に、3分後の未来を変える」

 

 塾「創遊舎」の話に戻りますが、この教室は、生徒を女子に限定した塾でした。まだ20代そこそこの私には、荒っぽい言葉や汚れた靴に汗臭さ。そんなことを想像させる男子を扱うだけの度量はなく、あえて差別化を選びました。

 

 働くお母さんの視点で、日常生活の延長にあるお行儀の良い塾を演出しました。玄関に入ってからの靴揃え、ご挨拶に後片付けを丁寧に。当たり前のことを当たり前に理解、実践して、

本気のやる気を応援する塾であることを全面的表現しました。

 「読む、そして考える」

 「聴く、そして考える」

ただ時間を過ごす塾であっても意味がない。中学生が取り組む計算式を3分経っても解決できないなら、何時間かけても解決できるはずはない。問題解決のためにどうするかを常に説く。それが先を生きる人が伝えることだと感じていたからです。小学生にでも、そのことは伝わり理解できるのです。

 

 自ら考え、発言または文章にすることは毎回最も大切なルーチンワークにしていました。よって、夏休みの宿題の作文やポスター制作の入賞率は毎年高く、表彰式には私までもが毎年出席するくらいでした。

「思いを表現する力」

これは社会に出て一番必要な力だと思っていたからこそでした。

 

 

「お母さんに協力する」という理由

 

 子供が学校行事や部活動で忙しくなり、さらにはお母さんが外で働き、両者が顔を会わせる時間が少ない生活様式となっていく中で、私が塾でその大切な時間を奪っているという認識がありました。お母さんの視点で、塾内にいる間、子供達にサポートする様子を通信プリントで発信しました。揃えて並んだ靴の写真や悪い姿勢の矯正、鉛筆の持ち方矯正の様子、学校見学に行った後のお礼状の書き方、出し方などの実践を記事にしました。後始末の仕方の実践など、日常的な礼儀を行うことで気持ちがスッキリ整う心地よさを感想として持った子供たちが、家庭に戻っても自然と同じことがしたくなる。

これは私も驚きでした。

 

 姿勢の悪さや、鉛筆のもち方は徹底的に授業前にチェック。何を始めるにしても、その姿勢が正しくなければ、疲れる上に効率は上がるはずもないのです。

 

 たまたま私は、小、中学生で剣道の稽古に通っていて、呼吸を整える構えの瞬間がとても好きでした。その姿がとても美しいと思えたというのもあります。水泳もテニスも同じことが言え、フォームの形で結果が違うことも経験しました。ですので、形にはとてもうるさい塾長であったことは間違いありません。

     

 

なぜ、現在の「食育推進運動」に踏み切ったか

 

 その理由は、35年間の塾経験により、毎年同じ年代の子供たちに接触し、その時代別健康変化を見てきて感じたことにあります。

 

 あるところから、急激にアレルギー症状を持つ生徒が増えたこと。10人中1人が鉛筆の持ち方がおかしかったのに、10人中1人しかまともに持つことができない状況に、たった数年で変化をしていたのです。小学生の子供が姿勢の悪さのせいか「疲れた」と何度も口にするのです。

 

 今から15年ほど前に、ファスティング経験をし、全てのプチ不調を取り除くことができた私は、彼らの症状が「食」からきているのだということがはっきりわかりました。休憩時間に出していた甘いおやつと砂糖とミルクたっぷりのココアをやめて、ホットプレートで玉ねぎの昆布醤油焼き、玄米のおにぎりに自分たちで授業前に仕込んだネギ味噌、甘くて美味しい長ネギの一本焼き(やってみなければわかりません)、小さく刻んだ具材を味噌汁バイキングで好きなように食べる。味噌汁が嫌いだった生徒も好きな具材を入れて喜んで食べるのです。受験1年前の生徒は自分で仕込んだ味噌を受験シーズンに解禁し、自分の味噌汁を飲んで試験会場へ向かうようにまでなりました。

 こんな光景を目にすることができた私はとても幸せな感覚に陥り、「味噌の力」を知ることになるのです。

 

この頃にはすっかり男子生徒の数も増え、教室は満席。一貫した生活の基本を塾内で体験できる環境づくりをすることが、私の次なるステージへの道標となりました。 

 

 

「キレイな日本人プロジェクト」が誕生した理由

 

 2011年3月11日、東北の震災を期に生徒対象からもっと多くの食卓の力を変えられる女性たちに発信の対象を変えようと決意しました。

 

 最後の生徒までを送り出し、スタートできたのは2013年12月4日。ユネスコ無形文化遺産に和食が登録された日の6日後のことでした。

 

 今となっての日本は「素晴らしい精神文化の残る国」と誤解も甚だしい状況ではありますが、この美しい誤解を利用して、このときに3つの指標を打ち立てました。

まずは目的:本当の食卓力推進

(活動者が使命に携わる喜びをもって誰でも簡単に取り組めるビジョン)

理念:身近な人からの幸せを

(倫理観に基づいた行動規範と責任をもって大切な人を守る)

使命:永続のための継続活動

(自分達の強みと弱みに整合する、合理的で効果的なコンテンツを持ち、伝える)

 

 これらを支援するプロダクトやコミュニケーションツールを活用し、「女性の力」をその「凛とした存在感」で美しい命の繋がりを表現、発信できると感じて浮かんだ事業構想の原点。

そして、「感動の提供」はできても、「問題解決」になっていなければ意味はない。「味噌を簡単に自宅で作れる」ことに意味はなく、本物の味噌がこんなに美味しいことと、この国の風土食文化として続いている理由はなんなのだろうかと、本質に耳を傾けてもらうことにならければならないのでした。

 

 2パターンの「簡単味噌作り」というツールは、日本の食事情、健康な生活を見直し、歴史や文化を紐解くために私の前に現れたとしか思えませんでした。狭い国土だからこそ隣近所を大事にしてきた日本らしいマナーや倫理観が生まれ、そこから各家庭の教養教育が養われ、各家庭が生命の鎖を繋いできた。日本人が日本人としての主役を取り戻すには、女神のような女性たちのリーダーシップが必要だと思うのです。まさに、思いだけで私と繋がり、その先に思いだけでつなげてくれた10,000人の参加者の皆さん。全国に100人の活動リーダーができるころ、10,000人が達成でき、何かが変わっていることを願いました。

 

 ところが、時はコロナ。オリンピックすら中止となり、意気消沈となるはずでした。

しかし、ここで何が大事なのかを発信し続ける全国の活動リーダーのおかげでズーム味噌作り開催が思いの外盛り上がり、味噌屋さん初め、工務店さん、飲食店さん、学校や教育施設の皆様からの要請で、思わぬ勢いに変わりました。この応援をよく眺めると、そこにはこの活動を心から支えてくださる男性の皆さんのお姿が見えてきます。支えてくださる男性がいるからこそ、女性は輝きを増して、大切な人、世の中のためにことができるのです。

 

 

東北の震災が教えてくれたこと それは、「日本という国の価値」

 

 一人の人間として何もできないことを目の当たりにして、日本人の心の豊かさと命への感謝について考えさせられました。災害も大自然の恵みの一つとしての出来事に過ぎなかったとしたら、今生かされている私たちは何を感じなければならないのでしょう。

 食卓力こそ、日本の国力。私たちは、いざという時、防備を考え行動するというこの国での「生き抜きかた」を教育されてきたでしょうか?

 

 地球規模の大問題がいよいよ起こってきた今、何が起こっても対応できる心構えが出来るように、「想像力」と「決断力」を養い、日常生活の豊かな知恵を子供たちに授けていかなければなりません。

 

 

そもそも何がしたいのか

 

 それは、日本にしかない「和食卓の知恵を教養教育」にすること。数々の災害を克服してきた日本が得た「生き抜き方」を学ぶ。つまり日本の食文化そのものを日頃の生活に取り入れることで、非常時に大切な知恵と力になること。そこには美しい四季や風土を大切にした独特の味わいと表現文化があり、嗜みとなること。せっかく備わっている日本の伝統美を生活の中で生かすことがなされなければ、もう、日本は日本でなくなるのです。

 

 「山紫水明」という恵みを活用できないなら、日本人である意味がないに等しい。そうは思いませんか?

 

 

日本の暮らしの道標をつなぐ「家庭の食卓教育」

 

 子は親の生き方を見て育つわけで、家庭生活は生き抜くための基礎教育の場面でもあります。今やどこの家庭にも100円均一のアイテムが並んでいることは否めません。季節ごとに巡る、親から子へ語り継がれる「もの」や「こと」の意味、エピソードは残念なことに消えつつあるといってもいいでしょう。自然と向き合い調和する生活だったはずが、いつしか作り込まれた社会の都合の中で突然の災害に慌てふためく現状。長い歴史の間では自然の災害をも受け入れ、乗り越え、語り継ぎ、歴史や知恵文化を家族や地域の「和み」の中でその知恵を育ててきたはずなのです。それは、大切な命を畏敬し、感謝をして生活してきた証でもあります。

 

 命をつなぐ食べ物の知恵と力。その基本中の基本をまず捉えて、子供たちの未来につなぐ学びをしたいものです。自然の姿のように、理にかなった姿はまさに機能美。一番美しい姿なのだと思うのです。

 

 

最後に

 

 おそらく大抵の人にはキレイ事だと笑われる人もいらっしゃるでしょう。ですが、このキレイ事に集ったのが、活動リーダーのメンバーと10,000人の皆さんだったのです。

 

 キレイ事をしないから、おかしい世の中になったのではないですか?

 

私はどこにでもある土の中にある小さな一粒の砂鉄のような姿に他なりませんが、その一粒にまた一粒、一粒と引き寄せあって今や10,000人の磁石になりました。キレイ事の集まりも砂鉄の粒からビー玉くらいには成長しているはずです。

 

女性の皆さん、

内海先生のように本質を詳らかにしてくださる方がまだまだ多くいらっしゃるのですから、

私たちは自分たちの想像力や決断力を今こそフルに生かしていただきたい。

 

そして、それを応援してくださる男性の皆さん、どうぞ、どうしたらこの男性社会で女性がしなやかに立ち向かえるのかお導きください。手を繋いだら、本当に何ができるのか、それともそうではなく、いく先はただ虚無なのか。

たとえそうであっても、今目の前にいる、ちいさな子供たちへの責任を果たさなければなりませんね。そんな思いで、稚拙な文章を書かせていただきました。

 

 最後までお読みいただきました皆様とこの機会をくださった内海先生、そして活動メンバーやご協力いただいております会員の皆様に感謝申し上げます。

 

 

 

 


次世代のための食育に思いを寄せて

 

伝統美養塾滋賀校主宰 食卓和和文化継承士 竹内蓉子


序章

 

 今では珍しくもないアトピー性皮膚炎や不妊、まさしく私がそれらに悩みをもつ一人でした。生後3か月で乳児湿疹がひどかった私は、「今のうちにしっかり塗っておけば治りますよ」というドクターの指示のもとステロイドデビューし、肌が荒れればステロイドを塗る、ということに何の違和感も疑問もなく育ちました。加えて、胃薬や下痢止めにもよくお世話になりました。それでも大病することもなく、自分は健康だと思っていました。

 

 

まさか自分が・・・?

 

 自分の身体に不安を覚えたのは、結婚後。なかなか妊娠しない現実に、「もしかしてよく聞く不妊・・・?」という思いが芽生え始めます。

 実は、結婚して子どもを意識し始めた頃、考えないようにしていたことがありました。それは「自分の子も、私と同じようにアトピー性皮膚炎になるのだろうか?」ということ。しかし現実は、子どもにアトピー体質が遺伝するかもという「妊娠すること前提の心配」よりも、それ以前に「妊娠しない」という問題に直面したのです。当時まだ20代前半。結婚すればすぐに授かるものだと思っていました。

 

 

手作り味噌との出会い

 

 ちょうど新婚で、専業主婦となっていた私は料理には力を入れておりました。お味噌が手作りできるということをインターネットで見て初めて知ったのもこの頃です。好奇心から見よう見まねで2㎏、初めて味噌を手作りし、それがあまりの美味しさだったので、それ以降毎年10kg仕込むようになりました。

 今まで買うのが当たり前だったものが自分で手作りできる、しかも美味しい!そんな経験が新鮮で楽しく、それまでルウや〇〇の素を使わなければできないと思っていたものも、既製品を使わず作るレシピを探すようになります。例えば、お恥ずかしい話ですが、生姜焼きのたれを使わず、実際に生姜や醤油などで作るという本当に初歩的なところからです。

 

 

変わり始めるアンテナ

 

 この頃の食への知識はまだまだではありますが、それでも「健康」や「妊娠」というものを意識し始めることで、アンテナが変わり始めます。入ってくる情報が変わりだし、それまで「身体に良い」と思っていたものが実はそうではないのかもしれない、マスメディアの情報が全て正しいわけではないのだと知りました。

アトピーに関しても見方が変わります。私を苦しめてきたアトピーが、実は身体が皮膚から湿疹として出す必要があるから出ているのだということ、薬はその身体が出そうとする行為に「蓋をしている」のだということ、その話が当時の私には、妙に納得でき、簡単に薬を使うのもやめるようになりました。

 

 

アトピーと向き合うことになる

 

 なかなか子どもを授かることができない現実に、「妊娠によい」と言われることを少しずつ取り入れるようになります。

余談ですが、不妊治療は考えませんでした。不妊治療がどういうことをするのか、知人の話から良いイメージがなく、自分たちの身体を整えることで妊娠できない原因を改善させたい、そう思ったからです。私の中で、「まだ妊娠していないだけ」で「不妊」だと自分で決めてしまいたくなかった気持ちと、私の年齢に余裕があったことも大きな理由ではあったと思います。

 少しずつ食習慣を整えていく中で、私の身体に変化が起こり始めます。便通が良くなり、湿疹ができては引き、場所を変えてまた出てを繰り返していくのです。そして、アトピー症状がドカンと出てきました。今までの私だったら、ステロイドで抑え込んでいたでしょう。しかしその時の私は、便も湿疹もアトピー症状も身体の排泄の手段だと知っていました。鏡で自分の姿を見るのがつらい日々が続きましたが、自分のやっていることを信じて、その状態をただただ見守りました。

 6か月ほど経過して、かさかさボロボロしていた肌から、べろんと皮がめくれ始めます。それはまさに脱皮のようでした。剥けては、弱々しい赤みをおびた薄皮の肌が顔を出し、まためくれ…それを繰り返して、めくれるごとに確実に新しいしっかりとした肌が生まれてきてくれるのです。長いこと、美しい肌に恋い焦がれていましたが、お肌は外側から美しい肌にするのではなく、内側から生まれてくるのだと身をもって体験した出来事でした。

 

 

待望の妊娠!からの

 

この時期は、さすがに妊娠どころではなく、毎日が自分のことで精一杯でした。ようやく落ち着いて半年くらいたったころ、待望の妊娠をします!嬉しすぎて、早々と近所の産院をリサーチし、ここはエステがついている、ここは入院中のごはんがご馳走らしい、と胸躍らせる幸せな日々でした。

…が、1週間で終わりを迎えます。心拍確認前に出血をし、切迫流産。1週間の自宅安静となり、祈るようにその1週間を寝て過ごしました。不思議な夢を見ました。お腹からなにか出ていくのを感じ、私が不安でたまらない中、周りの人はニコニコして言うのです。「ああよかった!これが出るのを待っていたのよ。」頭ではお腹の子が育ってくれることを祈りながら、なんとなく去って行ってしまったような気がしていました。1週間後の健診で赤ちゃんは確認できず、流産が決定しました。とてもショックでしたが、その経験があったから「実は私も流産の経験があるのよ」とカミングアウトしてくれる方も多くて、みんな口に出さないだけで、そういう経験をしている女性が多いのだと知りました。

 

 

流産があったから

 

流産という経験は、ますます本気で体質改善しようという気持ちに火をつけました。それまで知ってはいたけれど、「自分とは関係ない」と思ってきたファスティング(断食)を実践してみようと決意します。ファスティングはダイエットと思われがちですが、その真髄は身体の掃除(デトックス)をして、血液を浄化し、ミトコンドリアを活性化してくれることにあります。私が今、デトックスすることで、将来子どもがアトピーになるリスクが減るのであればやってみよう!そう思ったあの時の決意を今でもよく覚えています。夫婦でファスティング合宿に参加しました。

初めてのファスティングの経験と合宿で受けた講義が非常に面白く、ファスティングを継続してみようと自分で資格を取得することにしました。ここからが、私の食の勉強の本格的なスタートです。調味料の選択、油の選択、添加物や重金属が自分自身にも次世代にも及ぼす影響、私たちは食べたものでできているのだということ、それを実感して食生活が劇的に変わっていきます。

 

 

使命に目覚める

 

 きれいにデトックスしたその身体に何を取り入れるか、ファスティングを通して食べるコト、食べるモノをとても大切にするようになりました。そして妊活のために始めたファスティングですから、「私が食べたものが、将来の我が子の身体にも影響する」ということを強く意識するようになります。同時に、妊娠する前にこのような準備をする時間があってよかったと心から思いました。結婚すれば子どもができるものだと思っていましたから、妊娠前に身体を整えておくなんて発想はなかったですし、その大切さを誰も教えてはくれませんでした。

自分が健康になりたくて、本当の健康とは何か?学びを深めるにつれ、自分が学んだことをもっとたくさんの人に知ってほしいと思うようになります。健康な人を増やすには、大人になってから体質改善をしてもらうよりも、そもそも体質改善の必要のない土台の強い子を増やす方が健康問題の根本解決になるのではないか、そのためには全ての女性が妊娠前に身体づくりをするといいのではないか、食の大切さを伝えたい、その思いに突き動かされるように、食育活動に力を注ぎ始めます。キレイな日本人10,000人簡単お味噌づくりプロジェクトにも初期メンバーとして参加し、全国で味噌づくりイベントを開催するようにもなりました。

 

 

これからの妊活に願うこと

 

当時の私は、「子どもを授かる」という目的は達成できてはいませんでしたが、肌がきれいになったこと、薬を手放せたこと、食を選ぶ知識ができたこと、そして使命感をもって取り組むことが見つかったことで、とても前向きでした。妊活を通してたくさんの気づきを得て、身体もマインドも良い方向に変わっていきました。誰の身体も心も傷つけない、なんてメリットの大きな妊活だろうと思います。「妊娠」だけがゴールではないのです。様々な理由でこれからも不妊治療を必要とするカップルは増えていくでしょう。その時には、ただ医療任せにするのではなく、食事を見直すこと、生活習慣を見直すことで自分自身のもつ妊娠力を底上げしていただければ、授かった子どもの健康まで底上げされていくと思っています。

 

 

女性の力

 

 7年で味噌づくり10,000人に到達することができました。その間、私自身も2人の男の子の母となりました。なかなか妊娠できなかった私が、自然妊娠で2人の子を授かり、乳児湿疹もなく、アトピーにもならず、たくましく頼もしく成長してくれています。

様々な経験と学びがあったからこそのお産と子育て。最初の妊娠の時とは違い、産院を選ぶ基準は、エステでも産後のご馳走でもありません。できるだけ医療の介入がなく、私が私らしく、尊厳を失うことなく、私の産みたい体勢で、赤ちゃんの生まれたいように迎えてあげられる安心できる環境。もっとシンプルに言うと、分娩台ではなく、会陰切開もなく産める場所を重視しました。「ここで産みたい」そう思える助産師さんとの出会いがあり、1人目は助産師さんと夫に見守られながら、2人目は自分自身で取り上げました。それは女性としての私の身体の底力を体感する、素晴らしい経験となりました。自分で取り上げたというとみんなにびっくりされますし、私自身もびっくりだったのですが、私は女性なら誰でもいざとなったらそれだけのことができる力を持っていると思っています。母は強し、女性は強し、なのです。

 

 

「身体は完璧」

 

今までの学びと経験を通して、私の確固たる軸となっている考え方です。身体は完璧なのです。この軸があるだけで、目先の症状に一喜一憂しなくなります。アトピーですら、免疫の誤作動ではなく、私たちを苦しめるためでもなく、身体は自分自身を生かすために必要があってその症状を引き起こしているのです。私はただひたすらにそれを信じて、自分の身体の力を発揮できるように、日々身体を整えてきました。それだけで、私はアトピーを卒業し、二人の健やかな子どもたちを授かることができただけでなく、産後もこうして精力的に自分のやりたいことに情熱を傾けています。私は今、10代の時よりも20代の時よりも、自分の身体が頼もしく、人生が楽しくて仕方ありません。

 そして、「子どももまた完璧」なのです。私はその完璧な存在である子どもたちの成長をできるだけ邪魔しないように見守るだけ。どんな英才教育、早期教育よりも、どんな食べ物で強い心身を育んであげられるか、食育は一流の教育と思って子育てを楽しんでいます。

 

 

日本人として 母として

 

 子どもを迎え、今私が最も関心があるのは、日本人としての教養です。食への学びを深めるにつれ、日本人には日本人に合った食養がある、そう確信するようになりました。ベースとなっているのが、昔ながらの本物の調味料であり、発酵文化であり、和食材たちです。そして和食の特徴として、四季折々の食材と行事が1年の中にリズムとして織り込まれていること。それらは、家庭の中で脈々と受け継がれてきました。しかし、私自身はそれらを全く受け継いできておらず、これでは息子たちに何も伝えられない…自分の無知さに危機感を覚えたのです。そんな自分のためにも、開講しているのが伝統美養塾滋賀校です。同じ子育て世代のみなさまと、日本人の食と暮らしの知恵を引き継ぐために、共に学んでいます。お母さんについてくる子どもたちの方が、梅干しや味噌、削りたての鰹節、おにぎりに食いつき、バクバク食べるのです。子どもの方が、身体に必要なものをよく知っているなと感心します。

 

 

終わりに

 

 教養も体質も、全ては受け継がれてきたもの、そして受け継いでいくものだと、今ならよくわかります。未来へ何を受け継いでいくかは、自分の世代で選ぶことができます。次世代への影響を考えた時に、やはりこれから子どもを産み育てる若い世代の方には、食の大切さを知っていただきたいと強く思います。妊娠前に身体を整えておくことが、子どもの心身を安定させ、子育ても変わってくるからです。そのことを多くの方に知っていただきたく、私のこの体験談が参考になりましたら幸いです。

私も次の世代へバトンを渡していくひとりの母として、これからの子どもたちが当たり前に健やかであるように、「次世代のための食育」を掲げ、活動を続けてまいります。